手羽先で綴る

遊んだゲームのこととか、生活のことなどをだらっと書いています。

何か色々カオスなゲーム「PitPeople」

趣味は何ですか?と聞かれた時「ゲーム」と答えるのはちょっと躊躇う。相手がゲーム好きじゃない場合、会話が途絶えてしまうこと、仮にゲーム好きだとしてもジャンルや遊んでいるハードによっては全く話がかみ合わなくなること、などの懸念があるからだ。ゲームに興味がない人に一から説明するのは大変だし、ドラマや映画よりイメージがわきにくい。そんなわけで、私は無難に「趣味は読書です」と答えるのであった。ちなみに最近読んだ本は「本を読めなくなった人のための読書論」です。よろしくお願いします。

Steamはゲームの宝石箱や!

私にとってゲームと言えばPS4かSwitchだったのだが、ここ2~3年はSteamで遊ぶ機会が増えた。なお、Steamとは「PCゲーム・PCソフトウェアおよびストリーミングビデオのダウンロード販売とハードウェアの通信販売、デジタル著作権管理、マルチプレイヤーゲームのサポート、ユーザーの交流補助を目的としたプラットフォーム」らしいです(Wikipediaより)。日本で販売していないタイトル、インディーズメーカーのタイトルなど豊富にあり、探すだけでも楽しい。オンライン上でサクッと購入できるし、セールもやっているので、安く良質なタイトルが遊べるのも最高(ウィッシュリストが積み上がり、購入したままになっている積みゲーが発生するのが難点)。

Steamでソフトを探していくつか遊んでいると、自分の好きなゲームのジャンルがわかってくるのも自己分析みたいで楽しい。

 

この中の半分くらいはまだ遊べてない・・・

可愛い絵柄と歯ごたえのある難易度「PitPeople」

私はシュールなものが結構好きで、PitPeopleもそんな好みに一致していたので購入した。案の定ハチャメチャな世界観で、銃器があるのに移動は馬車(ミサイル付)。無意味に排泄物をフィールドに配置できるなど、小学生男子が喜びそうな要素が満載だ。翻訳もきちんとしていて、違和感がない。

この後ウンチだらけの町で戦闘になる。

 

だが戦闘面は意外とシビアで、小学生男子だとあっという間に詰むレベルだ。限られた人数でパーティーを編成して戦わなくてはいけない上に、戦闘不能になってもアイテムで復活!は許されないので、慎重な戦いが求められる。武器や装備も見かけこそ可愛いけど、出血表現もあるし、死ぬと木っ端みじんになって魂が昇天していく。戦いだからね、遊びじゃないんだ。

誕生日をお祝いしようとしただけなのに・・・

 

さらに敵を倒すとアイテムをドロップするが、持てる数には限りがあるので、フィールドで使用するアイテムと獲得するアイテムの数を考えて準備しなくてはいけない。一応ドロップしたアイテムはフィールドに残るので、拠点に戻って再度取りに行くこともできるが、拠点が時々強制移転させられるため、安心はできない。移動のショートカットシステムなんてものはないのだ、当然(もしかしたら私が見落としている可能性もあるけど・・・何しろ雑な性格なので)。

そんなカオスなゲームだが、ストーリーはちゃんとまとまっているので、世界観に引きずり回されながらも、クリアの充実感は味わえる。この楽しさを共有できる人が増えてほしいなと思ったので、ブログにした次第。しかし時間が経つと色々忘れるので、自分のためにも、思い出が新鮮なうちにまとめたいなあ。

嘘を教えるんじゃない

英語とアプリと鳥頭

英語を学ぼうと決めた。英語を仕事で活かしたいから・・・なんてものではなくて、やってみたいゲームが英語オンリーで、翻訳ソフトを使いながらのプレイが大変そうだからという理由だ。無料で翻訳してくれるソフトがある時点で令和時代は素晴らしく恵まれているのだが、ここはいっちょ踏み込んで自分でも理解できるようになろうではないかと変な欲を出し、早速無料のオンライン英会話を予約した。

私は小学生の頃から英語に通わされ、英語専門の学科に通っていたのに、会話もできなきゃ文法も壊滅的だ。札束を燃やして暗い足元を照らす成金より無駄なお金の使い方をしてしまった両親・・・すまないねえ。夏休みに短期留学をしたものの、自分の考えを言葉にしようとすると、語彙が乏しいがゆえに幼児レベルの表現になってしまうことがストレスになり、苦しい思い出となった。そして私は英語から離れ、今に至る。

別に英語ができなくても困ることはない。時々職場に海外から電話がかかってきて嫌な汗をかくこともあるけれど、AIに電話応対のマニュアルを作ってもらった私に隙はないのだ。でもどこかで、英語を流ちょうに話す人を見て、自分が諦めてしまった英語のことを思い出し、もやもやとしていた。

そんなわけで、レッスン当日。レッスンだから難しい単語わからなくてもどうにかなるっしょ!と妙に前向きな私。事前テストではそんなに成績悪くなかったしね!オンライン会話の環境ヨシ、予習ヨシ、ということでいざ出陣。

そして結果は・・・惨敗。終始しどろもどろでろくに話せやしない!講師のお姉さんすみません!留学した時の気まずい思い出が私を襲う!2回目の申し込みはしなかった。これはもう会話以前の問題だ。鳥頭はようやく気が付いたのだった。

赤ちゃんレベルの語彙力で会話からも遠ざかっていて、かつ育児による時間拘束がある私に向いているもの・・・そうだ、アプリだ。相手の空気を読まなくていいから、失敗も怖くない!通う必要もない!またもや令和の恩恵。今はAIが教えてくれるのね!早速インストール。無料期間で試してよさげなら続けよう。

始めてみると、英会話アプリのAIはなかなか優秀だ。質問にもわかりやすく丁寧に答えてくれるし、コンテンツに含まれないような些細な疑問もちゃんと解消できる。苦手なフレーズはチェックすればまとめておさらいもできる。便利だなあ!

AIとチャットをするタイプの学習もある。こちらのふにゃふにゃな発音も比較的聞き取ってくれるのだが、テーマありきの耳になっているのか、意図していたことと全然違う内容にされることがある。まあそれは仕方ないが、聞き取れないとすぐ「視聴してくれてありがとう!」と動画配信者のような表現に変えてくるのはなんか恥ずかしくなる。そしてAIも「あ、ああ。ところで・・・」みたいなドン引きした感じになるのも妙にリアル。そうだよね、今天気の話してるもんね。

ちなみに一番恥ずかしくなったのは、つたない英語で質問したのに、スマートに日本語で返された時。私のなけなしの努力を無にするな。AIに慈悲はない。

そんなわけでアプリに頼りながら学ぶことにしたのだが、問題は継続できるかどうか。通知が来ても、デイリー記録が残るとしても、モチベーションが下がっていたらアプリは開けない。鳥頭は考えた。子供を寝かしつけてからやるのが理想ではあるが、大抵疲弊しているので続かないことは目に見えている。それに夜はゲームしたいし・・・。

結果、夕飯作りの隙間にやることにした。テレビを見ている子供の横でスマホであれこれしてる時間を学習に当てれば、子供が大きくなってスマホいじりを注意した時に「だってお母さんもやってるじゃないか」「はあ?お母さんは勉強してるんですけど?」というカウンターを繰り出せるしね。正直1日10分程度やったところで、といったところだが、0よりはずっとましだ。休日は少し長めにやれるし、とにかく継続しようと決めた。

そしてそれから3カ月弱がたち・・・今もアプリは有料プランで継続中。月払いプランのはずが年間プランに加入していたというハプニングがあり、後に引けなくなったのも大きいけど。そして継続するうちに文法の弱さがはっきりしてきたので、そちらを強化するアプリも追加した。こっちは無料で。塵も積もればとはよく言ったもので、トータルで40時間の学習時間になっているから、決して無駄にはなっていないと思う。

最初の方はチャット会話もろくにできず、AIに「うまく話せなくてもう無理、話すのが怖い」と泣き言を言ってたのは内緒だよ!

子供に怒られた話

 子供を持つ身になって思うのは「子供は大変だなあ」ということだ。言動の自由がないし、親の基準でガミガミ言われる。他の基準を知らないから、納得できなくても飲み込むしかない。そりゃ大人になったら親とは暮らせなくなるわ···。

 

 とはいえ、親も苛めたくて怒ってるわけでもなく、はるか先の将来を見越し、憂いているのだ。自分がやった、穴があったら入るどころじゃない失態や恥を経験してほしくないから。ついでに昨日、私は仕事で恥をかき、自室をブツブツ言いながら歩き回って平常心に戻すために苦心したのだった。恥ずかしいねえ!

 

 さて、そんな我が子は5歳児である。言動が脱赤ちゃんして久しく、園で覚えた謎の言い回しを日々繰り出してくる。何かと動き回り、うろちょろとする。動き回るのは平衡感覚を養うための行動と聞いて「それなら仕方ないとね」少し納得したけど、やっぱり怒ってしまう悲しき性。仕事終わりに迎えに行って寝かしつけるまでわずかに3〜4時間なのだが、仕事の倍は体力と気力を消耗する。怒るのも、褒めるのも、全てにエネルギーを使う。

 

 昨日入浴していた時だ。私は子ども目線で遊ぶのが本当に苦手で、少しでも自分がテンションを上げられるように行動する。なので、使うキャラクターの性格をちょっと変えてみたり、子供をつついたりして遊んだりする(プリキュアポケモンをヤクザ口調にしてみるとかね)。子供と遊ぶこと、加えて身体的接触があまり好きではなく、もう本当に適性のない母親だが、子供のむちむちしたほっぺたや腕を触るのは好きなので、それでスキンシップをはかってきた(つもり)。

 

 いつものように入浴中にはしゃぎついでにほっぺをプニーっとしていると「やめてー」とキャッキャしながら子供が言った。「なんでなんで、楽しいよー」とさらにプニプニした瞬間

 

「やめてね」

 

 真顔で言われた。子供が怒った。今までの泣きながらの癇癪とは違う、冷静な怒り方だ。怒ってるのに口調が優しいの、現代だなあ···と全く関係ないことを考えつつ、さすがに申し訳なくなり「す、すみません」と謝ったのであった。ところで、子供はちゃんと謝れるのに、大人はどうして謝れなくなってしまうんだろう。私も子供の頃は「両親は全然謝らないなあ」と思っていたのに、今は謝ろうとすると少し口ごもってしまう。情けない。

 

 そこから交渉して、寝る前はプニプニしていいよ、と許可を頂いたのだった。子供と過ごしていると、反省することも多い。それもまた、体力気力を使う原因なのかもしれない。常に反省しながら怒ったり褒めたりしてるのだから。

ゲーマーの始まり

夫の影響を受けて、子供がポケモンを始めた。5歳にしてSwitchを操りオープンワールドを満喫してるのは流石令和の子供である。ポケモンがうまく捕まらないと、癇癪起こして親のメンタルごりごり削ってくるのはやめてほしいけど。 子供の集中力とは見事なもので、没頭していると「もう時間だから止めなさいよ!」は見事にスルーされてしまう。土日は夫子供でずっとやってるので、色々心配になってくる。「ちゃんと休憩とりなさいよ」「止める時間決めてよ!」と小言を繰り出してしまうのもやむなしである。 ここまで書くと「父親がゲーマーで子供にポケモンを勧めた」と見えるのだが、実は私もかなりのゲーマーだ。ポケモンは前作までプレイしていたが、PC(steam)のゲームを消化するために今回はプレイしていない。子供を寝かしつけてからはゲームで夜更かしというのも茶飯事なのだ。だから子供が止められなくなるのもわかるし、好きに遊ばせたい気持ちもある。だけど、貴重な子供時代をゲームに費やしていいの?という気持ちもある。 何より辛いのは、自分のことを棚の最上段にあげて「いつまでもゲームしないの!」と叱る時だ。どの口が言うか、と言われたらぐうの音も出ないであろう。現に「あと1回」で日々睡眠時間を削っているのだから。こ、こんな大人になってほしくないから言ってるんだよ?あなたのためだよ? そんな私なので、夫がいない平日の夜にポケモンをする時はやむなく手助けすることもある。子供はポケモンゲットだぜ!が目的で戦闘は苦手らしく、苦戦するとすぐ私に押し付ける。「勝てなかったらどうしよう」と不安がる子供に「大丈夫だよ。お母さん負けたことないから」と、伝説の元戦士みたいな台詞を言いながら、相手を倒す。こんな台詞を人生で口にする機会があるとは。本当の意味で言えるのは吉田沙保里氏くらいだよ。 考えてみれば、私がゲームを始めたのも子供と同じくらいの年齢だった。両親は定期的に秋葉原(当時はマニアックな電気街だったようだ)に行っては、よくわからんゲームを買っていたし、遅くまで両親でわいわいやっていたことを覚えている。そこから今に至るまで、私もずっと何かしらゲームを遊び続けているので、一生ものの趣味といえばそうなのだろう。 だから子供に無闇にゲームで遊ぶことを非難できない。むしろ教えるべきはゲームとの適度なつきあい方、関わり方かもしれない。スマホでも何でも気軽にゲームに手が届く時代だから、完全に遠ざけることは難しいだろう。それなら上手く付き合う方法を試行錯誤した方がいいし、子供に禁止しておいて自分だけ遊ぶなんてのはあまりにも卑怯だ。私にとってもゲームは娯楽でありストレス解消の手段なのだ(逆にストレス溜まる場合もあるが)。だから今夜もゲームをして、楽しい時間を過ごすのだ。

駄菓子といかついシール

近くに新しく駄菓子屋がオープンした。駄菓子屋のワクワク感はいつの時代でも同じなのだろうか。実家の近くにも小綺麗な駄菓子屋が出来ていたが、計算用の電卓があって、子供目線の配慮に感動した。

 

美味しいお菓子で溢れているこの時代に、わざわざ駄菓子を食べる必要はあるのか?という疑問があるかもしれない。個人的には、駄菓子屋で買うのは商品ではなく、自分の手で厳選したお菓子を予算内で買う満足感、大人の場合は好きなだけ買っても貯金にダメージがないという成金のような快感だと思う。そんなわけで、電卓片手にじっくり選んでる子供達に遠慮しつつ、好きな駄菓子をカゴに入れたのだった。フルーツ餅とどんぐりガムが好きなんだ···。

 

私が子供だった頃は、まだ昔ながらの駄菓子屋が残っていた。店の中はちょっと古くて、駄菓子のみならずスーパーや専門店になさそうな謎のおもちゃが所狭しと並んでいた。

 

ある年の夏休み、私は母と妹の3人で、田舎の祖父母の家に来ていた。母にとっては義実家なのだが、母は祖父に「そろそろ息子が心配だから帰りなさい」とやんわり言われるくらいのんびりと滞在していた。大した強心臓である。私にはできない。

私の母という人は、ある意味鈍感なところがある。京都の人なら、意図が通じなさすぎて発狂するかもしれない。ぶぶ漬け?いいんですか?じゃあいただきます!

 

それはともかく、田舎の暮らしはしばらくすると飽きてくる。そんな時母は、私達を駄菓子屋に連れていってくれた。子供のためというより、自分が買いたかったのだろうけど。私はハイチュウをカゴに入れて「バカッ、スーパーで買えるものを入れるんじゃない」と理不尽に怒られたりしていた。

 

そんな私をよそに、母は楽しそうに買い物を続け、最後にレジ前にあった「入れ墨シール」を買った。邪気眼かヤンキーに憧れた子供がユーザーと思っていたけど、こういう人が買うんだね!

そして帰宅するなり、肩の付け根あたりに貼って「ほらー」と娘2人に見せてきた。入れ墨もヤクザも知らない子供に見せびらかす母。赤い鯉か金魚の柄だったことをなぜか今でも覚えている。てか義実家でそんなことする?祖父母はどんな気持ちで長男の嫁を見ていたのだろう···と思うと色々複雑である。私なら、お金積まれてもやらないと思う。

そうして浮かれていた母であったが、ここで事件発生。ごめんください、の声と共にドア開く。施錠?そんなものないよ。繰り出されたのは「奥義・『田舎あるある、親戚のアポなし訪問!』」である。しかもちょっとうるさい親戚のおばさまだ。

 

チタンのような心臓を持つ母であったが、さすがに慌て始めた。「どうしよ、これ石鹸で落ちないわ!」駄菓子屋産とは思えない、根性のある入れ墨シールである。挨拶行かないのはまずいよね。さあどうするんだ!

 

その後覚えているのは、肩を不自然に手で隠した母が余所行きスマイルで親戚のおばさまに挨拶している後ろ姿だった。挨拶の後母がどうやってあの場を切り抜けたのか、謎である。

 

料理と私とホットクック

とにかく料理が苦手というか、好きじゃない。「作っても感謝されないから辛い」とかじゃなくて「とにかくやりたくない!」なのだ。料理がストレス発散になるという知り合いの方がいたけど、心底羨ましい。来世もし人間になれたら、そうありたい。

 

原因としては「献立作りが面倒」「作るまでに時間がかかる」「苦労して作っても、食べるのは一瞬」「片付けが大変」などがある。

 

休日に家族がごろごろしてる横でメニュー作りに悩み、買い出しに行っては値段や似たような食材にならないように悩み、食事の時間に合わせて段取りして作り始める。休日なのに休めない。ゲームしたいよ。

 

とはいえ、子供がいるから適当にはできないので、色々対策はしてきた。料理教室で学んで基礎をおさらいしてみたが、そもそも料理が不得手なので、学ぶ以上のことにはならなかった。

他にも炒めるだけで完成!みたいなセットは量が足りず、簡単に作れるレシピは、私の技術ではレパートリーが限られてしまい、決定的に楽になるものはなかった。

 

そしてついに先日、大枚はたいてホットクックを購入した。まあ、下ごしらえは必要だし、調理がめちゃくちゃ楽とはならない。でも、作ったことのないメニューに挑戦できるようになったのは有難い。あと、単純に美味しい。残った豚バラ大根を翌日のお昼に食べたら、味の染み込みがパネェ!と驚愕した。

数々の家電を産み出してきた、SHARPの皆さんに手を合わせたくなった。今度レンジ買う時はSHARPにします。

 

あと、思わぬ良いところを発見した。それはホットクックのおしゃべり機能だ。作り始める時、加熱する時などに一言喋ってくれるのだが、これが意外と悪くない。「美味しくできますように!」とか、ホットクックのレシピ本通りに入れてるんだから、美味しく作れて当然やろがい!と心のなかでツッコミつつも、少し人間味を感じられる。

そして今日スイッチを入れた時、いつもと違う音楽が流れたかと思うと「調理10回目ですね!」という台詞が。何というサービス。

 

この時思ったのは、料理は孤独だということだった。私の場合、子供に時折妨害されつつも、基本は1人で段取り考えて食材を切って黙々と作る。食後に「ごちそうさま」はあっても、作った人間への直接の感謝はないし、作った苦労への認識もないだろう(ごちそうさまに感謝が含まれてるといえばそうだけど)。

 

だがホットクックの言葉は「共に料理をしている」という感覚を与えてくれるのだった。この家で、家族のために一緒に調理している存在がいるのは、何だか心強い。